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川越電気鉄道 5   .5
国道17号線(新大宮バイパス)を渡った川越電鉄は、大宮に向けて最後の力走に入る。
並木を過ぎた軌道跡は、大成停留所の手前で県道(旧16号)と別れ、当時の名残を残す細い道へと入っていく。
近年発展著しい大宮駅前において、そこだけが時間からとり残されたような路地。
やがて大成、工場前の停留所を過ぎれば、いよいよ終点大宮だ。
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撮影No.と方向
地図「1」から撮影

並木停留所付近

さいたま市西区三橋町で国道17号線(新大宮バイパス)を渡った軌道跡は、一路大宮を目指して進んでいく。

内野の次の停留所は「並木」
この辺りも住宅やマンションが立ち並ぶ、昔からの住宅街だ。
当然ながら何も残っていない。

大宮駅に近づくにつれて、ますます交通量は増えてきた。
地図「2」から撮影

相変わらず歩道が狭い。
そういうところも古くからの道というのが分かる部分だ。
100年以上前から川越に抜ける街道として利用されてきた道。時代は移り変わり徒歩や馬で通った人々も今では自転車や自家用車で、あっという間に走り抜ける。
撮影No.と方向
地図「3」から撮影

川越久保町を出発して、ずっと辿ってきた川越電鉄の軌道跡もいよいよクライマックスを迎える。

旧国道16号線によって見事に痕跡を消し去られていた軌道跡が、終点を目の前にして再び姿を現した。

旧国道16号線と分かれて、ここから大宮駅へと別の道を行く。


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地図「4」から撮影

細い路地となって残る軌道跡。

70年前は軒先を電車が走り抜けていたのだろうか。

地図「5」から撮影

大きなビルによって道幅はさらに狭まる。しかし、間違いなくここが電車道だ。

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地図「6」から撮影

自転車置き場となった軌道跡。
抜けたところは国道17号線だ。
地図「7」から撮影

大成停留所付近

路地を抜けて国道17号線へと飛び出した。
ここに大成停留所があった。

軌道はここから正面の「埼玉りそな銀行」のあるところを通り、大宮駅前へと出て行く。
ここから少しの間、軌道跡は失われる。


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地図「8」から撮影

工場前停留所付近

建物によって失われていた軌道跡は、ここで再び姿を現す。
大宮駅は目の前だ。

川越電鉄があった頃、この辺りには工場があったらしい。国鉄の工場だろうか?
地図「9」から撮影

いよいよ終点間近。
大宮駅は巨大なターミナル駅と化してしまったが、駅前の一部には、まだ昔ながらの風景も残っている。

しかし、次の30年後にはおそらく残されてはいないだろう。
地図「10」から撮影

正面に見えるのが大宮駅。
駅前には「ダイエー」の大きなビル。
地図「11」から撮影

軌道跡は交差点を渡り、終点へと向かう。
大宮駅は新幹線が開業したときに大きく生まれ変わった。
それまでもターミナル駅ではあったが、どことなく地方の雰囲気のある駅だったのだが・・・。
それまでの西口は木造の飲み屋街の立ち並ぶ古い町並みだった。

地図「12」から撮影

軌道は大宮駅に直角に入り、ここで90度向きを変えていた。
それにしても大宮駅西口の大規模再開発が行われた後も、律儀に軌道跡を道路として利用しているのが、なんだか可笑しい。
地図「13」から撮影

終点 大宮駅付近

70年前までここに川越電鉄の駅があった。
もちろん私が生まれる前であるが、きっとのんびりした雰囲気だったのだろう。
今では鉄筋コンクリートのビルが立ち並び、そんな雰囲気は失われてしまった。のどかだった頃の大宮駅が無性に懐かしい。

情報によると川越電鉄関連の建物が、のちのちまでも西部バスによって利用されていたそうだ。
記憶には残っていないが、間違いなく私も目にしていたはずである。

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地図「14」から撮影

大宮駅西口駅前通り

今ではもう一本南寄りの道が駅正面へのメインストリートだが、新幹線開業前はこちらがメインだった。
バスターミナルへもここから入っていったのだ。
地図「15」から撮影

奥が大宮駅。

手前にはARCHEが立ちふさがる。
大きなビルに囲まれて目の前に行かないと大宮駅を見ることもできなくなってしまった。

5回に渡って紹介してきた「川越電車軌道跡」、いかがだっただろうか。
急速に変化を遂げる都市の波に飲み込まれて、その痕跡はほとんど残ってはいない。遺構となれば黒須付近の小さな小さな橋台だけである。
私が30年前に訪れたときも、すでにそんな状態だったのだ。30年前と言えば、すでに廃止後40年近く経っているのだから当然と言えば当然だが、これがもし森林鉄道のように山奥の敷かれた鉄道だったらどうだろう。おそらく朽ち果てはしていても、もっと多くの遺構が残されていたに違いない。
都市と言うのはあっという間に姿を変えてしまうものだと、あらためて実感した。
これからも都市は立ち止まることなく変貌を続けることだろう。そこにチンチン電車が走っていた歴史など消し去ろうとするがごとく・・・。
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