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川越電気鉄道 1.2.3.4.5
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川越久保町駅付近をくまなく撮影した後、電車道そのものといった感じの道路を抜けてきた。 しかし、この先しばらくは大通りとなって、痕跡を完璧なまでに消し去っていた。 国道に飲み込まれた区間は果たしてどうなっているのだろうか。そして、その先の伊佐沼方面へと分かれてからは、川越電鉄は何かを見せてくれるのだろうか。 |
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撮影No.と方向 |
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地図「1」から撮影 軌道跡は面影の残るカーブを抜けて、県道川越日高線に合流する。 さすがに大通りには何の痕跡も残っていない。 しばらくはこの道路に沿って進む。 |
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地図「2」から撮影 県道はすぐに国道254号線と交差する。 さらにその先では国道16号線と合流する。 広い道路と立て続けに遭遇しては、さすがに痕跡を探すのは無駄であった。 |
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地図「3」より撮影 大改修によって一つ残らず痕跡が消え去っていた川越電気鉄道跡が、再び姿を現すのはこの地点。 国道16号線から斜めに細い道が分岐する。これこそが旧道(旧県道大宮線)だ。 当時の道は直線で結ばれていたのではなく、クネクネと曲がっていたようだ。 道路との併用軌道だった川越電鉄も当然このように進んでいたと思われる。 |
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地図「4」から撮影 旧道はくの字に曲がり、築堤のような感じで再び国道16号線へと近づく。 この先に九十川が流れていて、旧道には二枚橋(大正十三年(1924)竣功)が掛かっている。 左側は畑や田んぼが広がっていて、鉄道が走っていた当時を思わせるような風景だ。 |
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地図「5」から撮影 コンクリートの欄干が立っているのが二枚橋。 資料によると軌道はこの橋の南側数メートルのところを木造の橋で越えていたようだ。 線路はこんな感じに敷かれていたのだろうか。 旧道の橋は残っているが、国道は近年に大幅に改修されて片側2車線化されてしまった。そのためコンクリートの立派な橋が架かり、何も見つけることはできない。もっともそれ以前にも残っていなかったようだが。 |
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地図「6」から撮影 軌道跡を想像したライン。 あるサイトにこの位置から撮影したと思われる川越電鉄の橋の写真が載っていた。距離的にはもう少し離れているだろうか。 |
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地図「7」から撮影 二枚橋の親柱。 大正13年(1924)8月竣功とある。 この橋は川越電鉄の現役時代を知っているのだ。 |
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地図「8」から撮影 旧道のラインは国道16号線に合流するが、地図を見ると、そのまま突っ切って反対側にも続いているのが分かるだろう。 軌道も同じように進んでいたはずだ。 |
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地図「9」から撮影 国道16号線の反対側に渡ったところ。 旧道が続いている。 |
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地図「10」から撮影 ここは数年前まではもっと旧道の面影があったのだが、国道拡張工事で地下道が作られてしまった。 軌道は再び国道16号を渡り、今度は大きく離れていくこととなる。 |
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地図「11」から撮影 国道16号線を斜めに渡る軌道跡。 ここに「二ノ関停留所」があったと思われる。 写真にマウスを合わせると線路方向を表示します。 |
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地図「12」から撮影 国道16号線を渡った軌道は斜めの道へと入り、伊佐沼方面へと向かう。 当時は国道16号線は無かったので、これが大宮へと向かう道だったのだろう。 |
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地図「13」から撮影 国道から離れた道は徐々に昔の面影を取り戻し始める。 |
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地図「14」から撮影 左に伊佐沼が広がるのどかな風景の中、川越電鉄は次の停留所「沼端」へと走る。 |
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地図「15」から撮影 伊佐沼沿いに左へとカーブする道と分かれて、軌道跡は右へ。 沼端はもうすぐだ。 写真にマウスを合わせると線路方向を表示します。 |
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地図「16」より撮影 右手に火の見やぐらが見えてきた。 この辺りが沼端停留所だったと思われる。 伊佐沼の端だから沼端。安易だが分かりやすい地名だ。 |
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地図「17」から撮影 沼端停留所跡付近 |
一度は広い道路に飲み込まれてしまった川越電鉄の痕跡だが、国道と離れることによって再び姿を現してくれた。 そうは言っても、あくまで道路として残っていると言うだけであって、鉄道の遺構そのものは何一つ見つけることはできなかった。 しかし、この先にそれは待っているのである。 廃止後67年が過ぎた21世紀の現在まで、奇跡的に残された川越電気鉄道唯一の遺構が・・・。 次回、その遺構が姿を現す。 |
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