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秩父鉱業専用線 2 訪問日 2008/08/31 同行者:大師匠、ギルさん カメラ:Nikon D70 秩父鉱業の葛袋駅跡から先へと進んだ我々。前半部分は比較的容易に探索できた。 ここから後半部分へと進むのだが、最後はかなり彷徨(さまよ)ってしまった。 |
秩父鉱業専用線 路線図 クリックで別窓拡大 番号は例によって撮影場所を示している。 |
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航空写真 くっきりと線路跡が写っている マウスを乗せると線路跡を表示 ご覧のように廃止後24年が過ぎても、線路跡は比較的残されている。 しかし、これは空から見るから分かるのであって、実際に行ってみるとなかなか見つからなかったりする。 |
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別地図 ※クリックで別窓に拡大図表示 これはYahooの地図だが、この地図には関越道を跨ぐ橋や、その他のいくつかの橋が記されているのだ。 最初からこの地図を持っていれば、この探索はもっと楽だっただろう。 |
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地図No6地点付近 秩父鉱業葛袋駅方面を撮影。 高坂マスターズゴルフ練習場の横を通って山へと登っていく道を辿ると、この場所にくることができる。 実際には、ここへは最後に訪れたのだが、路線を順に追って紹介していく都合から、先に取り上げた。 ここは掘割のように掘り下げられて線路が敷かれていた。 大規模な築堤を築いたり、そうかと思うと深く掘り下げたりと、とても変化に飛んだ線だったようだ。 貨物しか扱っていなかったので、この風景を見られたのは限られた人だけだが、ここに旅客鉄道が走っていたら、とても楽しかっただろうと思う。 この写真は道路の橋から見下ろすように撮影している。この道がとても古い道で、おそらく古くは峠越えの道だったのではないだろうか。 その証拠に、橋の傍らには元禄の年号が彫られた道祖神や庚申塚が建てられていた。つまり今から300年前には、この道が存在したことになる。 橋には架線の保護のためのものか、アングル材で組まれたガードのようなものが付けられていた。 |
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地図No6地点付近 秩父鉱業葛袋駅方面を撮影。 すっかり自然に飲み込まれてしまった線路敷き。 かつて何両も連結された貨物列車が走り抜けていたとは、とても思えない。 |
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地図No9地点付近 終点高本駅手前 現在の清澄ゴルフ倶楽部入り口付近 車道を登っていくと軌道跡と交差する。 この道は高本駅へのアプローチ道路だったはず。 画像にマウスを乗せると線路位置を表示する。 ここから葛袋駅に戻る方向へは線路敷きを辿れそうである。 車を止めて行ってみた。 |
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地図No9地点から少し葛袋駅方向へと戻った場所で撮影。 この辺りの軌道敷きは今でも草刈りがなされて、綺麗に管理されている。 両側の木々が生長して緑のトンネルを形作っていた。 |
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地図No7地点付近 鉄橋発見! 見事なガーター橋だ。 撤去するにはあまりにデカすぎるのだろうか。 |
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地図No7地点付近 だいぶ色あせているが、ちょっとメンテすれば、すぐにも現役復帰できそうだ。 |
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地図No7地点付近 鉄橋の側面に取り付けられていた銘板。 KISHA SEIZO KAISHA OSAKA・1923 社會式株造製車汽 阪大 造製年二十正大 85年前の製品か! ん? ちょっと待てよ。この専用線は1955年の開業じゃないのか? この鉄橋は別の線から持ってきたものなのだろうか? |
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コンクリートの柱が打ち捨てられていた。架線柱だろうか。 |
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地図No8地点付近 そしてこちらはコンクリート橋だ。 しかし、先ほどのは鉄橋で、こちらはなぜコンクリート橋? |
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地図No9地点付近 再び清澄ゴルフ倶楽部へと戻ってきた。 監視カメラうんぬんなどとあると、やましいことがなくても緊張してしまう。 ここが終点の高本駅があった場所だ。しかし、ここがそうだと気が付くまでに、先ほどの橋を見学してから、かなりの時間彷徨ってしまったのだ。 終点はもっと奥の山中にあるとばかり思い込んでいて、車でグルグルと走り回ってしまった。 しかし、どうしても見つからずに、あらためて資料を見直してみたら、この清澄ゴルフ倶楽部こそが終点高本駅だったのである。 そして、この舗装道路がもろに線路跡だろう。 おそらく突き当たりが線路の終点だったのだと思われる。 |
NOW PRINTING | 高本駅空中写真 昭和49(1974)年度撮影 (国土画像情報閲覧システムより) |
駆け足で探索した秩父鉱業専用線。廃止後24年を過ぎてレイルこそ撤去されているが、線路敷きはほぼ残されている。また、橋などの遺構もそのままというのはポイントが高い。今回は車だったので探索できた区間は限られたが、歩きならばかなりの区間を辿ることができそうであった。ただし、あの猛烈に繁茂する葛が枯れている時期限定である。ここも真冬の時期にもう一度訪れてみたいものだ。 | |
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