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神庭洞窟(かにわどうくつ)  

訪問日 2008/05/25 同行者:ギルさん          カメラ:Nikon D70・Panasonic FX01

矢通反隧道を後にした我々は次なる目的地、神庭洞窟へと向かった。
この洞窟、前回の入川森林軌道訪問の際に偶然見つけたもので、行こうと思ったが道が不明で次回に回したものである。
洞窟の場所は国道140号を山梨方面へと走って行くと、左手に大きく看板が出ているので注意していればすぐに分かるはずだ。
神庭洞窟は12000年前の縄文時代に使われていたらしく、ここからは縄文人の骨や動物の骨が見つかっている。
住居としてや狩猟の際の泊まり場として使われていたようである。
ただ、100年、200年前ならば何となく実感がわくものだが、12000年前となると全く想像もつかない。”廃”なものとしては、いわば究極!
太古の廃はどんな姿を見せてくれるのだろうか。

国道140号線を秩父市から山梨方面へと向かい、三峰山ロープウェイ(現在廃止)入口を過ぎて、道が右に大きくカーブする。その先で左方向、川の対岸を注意して見ていると巨大な看板が目に入るはずだ。そこが神庭洞窟の場所である。
しかし、対岸に渡るにはその先500mほどいったところを左に折れて、橋を渡ったら突き当たりを左、「村営グラウンド」方向に行かなければならない。140号線から入るところには神庭洞窟の看板は出ていないので注意。
村営グラウンドに車を停めて、歩きで神庭洞窟を目指す。
この道は神岡集落と大輪集落を結ぶ道らしい。
もしかすると国道が開通する以前の旧道だったのかもしれない。
ここまでは車も入れそうだが、この先は急に細くなり、山へと分け入る。
縄文人もこの辺りを歩いていたのだろうか。
もしかしたらこの道は12000年前に拓かれたものかもしれない。
それが現代に至るまでずっと使われているのだとしたら、すごいことである。
奥秩父の山々を削りながら流れる荒川。
悠久の時の流れがそこにあった。
道を辿ると見上げる位置に神庭洞窟の看板が現れる。
国道から見えたやつだ。
P(パーキング)は左の矢印があるが、どこにあるのだろうか?
ロープウェイの駅あたりにあるとしたら、歩いたら結構な距離だろう。そちら側なら土産物屋もあるので、地元としては利用してもらいたいのかもしれない。
崖に黒く口を開けているのが神庭洞窟だ。写真中央に見える穴である。
ジグザグの九十九折れを登ると神庭洞窟に到着。
5万年前はこの神庭洞窟の高さが川床だったのだ!
現在の川床とは50mくらい差があるだろうか。5万年で50mを削ったとすると、1万年で10m、1000年で1m、100年で10cm、10年で1cm、1年で1mm(@_@;)
計算間違ってないよね?
1年でたったの1mm!!
気の遠くなるような月日の流れだ。

縄文時代は約13000年前から始まっている。この奥秩父の地にそんな昔から人が住んでいようとは。
ちなみに縄文時代の前は旧石器時代。旧石器時代は氷河期の後期と言われているので、ここに人々が暮らしていたのは地球が温暖化してきたころなのだろう。

荒川の流れが神庭洞窟を洗っていた頃の5万年前は日本にまだナウマンゾウなどの太古の巨大哺乳類が生息していた頃である。
なんだか廃探倶楽部も悠久の時間軸を旅するようになってきてしまった(笑)
さて、古代の勉強はこのくらいにして、神庭洞窟へと入ってみよう。
入口の頭上はオーバーハングぎみの崖である。
その崖下にぽっかりと穴を開けている。
これが神庭洞窟入口だ。
今ははるか下に望む荒川だが、かつては荒川の流れがここにあったのだ。
それを考えると5万年という時の流れを思わずにいられない

いよいよ12000年前の廃へと突入する。
私の脳内には「藤岡弘探検隊」で掛かるような音楽が鳴り響く。
「奥秩父の山中に、謎の古代人の住居を見た?!」
ってところだろうか(^^;
ヘッドランプを点けて中へと入ってみる。
が、中へと入ったとたんに妙に冷静になった。
「く、暗い!よく見えない」
目が慣れてくると石灰岩質の柔らかい岩が浸食されて、中には空間が広がっているのが分かった。
中の気温は確実に外界よりも数度は低く、ひんやりとしていた。
小さなヘッドランプの灯りを頼りに、ぐるぐると辺りを見渡す。
足元には小さく砕けた石が転がっていた。
どこをどう撮っていいのか分からない。
洞窟という異空間に私は戸惑っていた。
それは同じ穴世界のトンネルは全く違った世界であった。
中にはいくつもの裂け目があり、奥深くまで繋がっていそうな感じだ。
しかし、恐ろしくて突っ込む気にはなれない。
無理して体をねじ込んだとしても、もし抜けなくなったら。
((;゚Д゚)ガクガクブルブル
こちらにも空洞が奥へと続いている。
ところで、この写真、どこをどう撮ったのか全然分からない。
岩ばかりの暗い空間で、上を向いて撮ったのか、横を向いて撮ったのか。はたまた縦構図か横構図なのか(^^;
あとから見て基準となる物がないとこうなのか。

ストロボを炊いているから写るのだが、LEDライトの光は広がりを持たず、光が拡散していないところは真っ暗でよく見えない。
中に居ると平衡感覚もなくなってくるようだ。ふだんこういうところに入ることがないと、どうにも落ち着かないものである。
はっきり言って異世界に迷い込んだかのような錯覚を覚える。

洞窟内全体を照らす強力な照明でもないと、写真で全体像を紹介するのは不可能だった。
どうにも落ち着かなくて外へと脱出。
この日はさほど気温は高くなかったのだが、洞窟内から出ると蒸し暑く感じられた。
廃とは言っても単なる洞窟。地面に土器や石器でも転がっていれば別だが、そんな貴重なものが落ちてる訳もない。
まあ、ネタということで勘弁してもらおう(^^;

遠くに見える建物は、廃止された三峰山ロープウェイの大輪駅である。
昭和14年(1939)に建設され、多くの観光客を運んできたロープウェイも設備の老朽化が進み、修繕には多額の費用が掛かり、たとえ直したとしても赤字化は免れないので、2006年5月19日に休止。2007年12月1日で廃止となってしまった。

今では動くことのなくなった車両が駅に止まっている。
さて、神庭洞窟を抜け出した我々は、すぐそばにもう一つ鍾乳洞があるというので行ってみた。
ちなみにこちらは廃ではない。
神庭鍾乳洞への道を登るギルさん。
雨の後なので足元ビショビショである。
いきなり突入するギルさん。
ま、待ってよ、置いてかないでよ(^^;

こちらは入口をコンクリで固めて補強してあった。
巨大な岩がまるでミルフィーユのように層を成している。
ズンズン奥へと入っていくギルさん。
中は先ほどと同じで暗そうだ。

かつては扉があったのだろうか。錆び付いた兆番が残っている。
中へと入って入口を振り返る。
コンクリの補強がジャマだな。
おお、上に行っちゃうのね。
勇気あるな。
ギルさんの足が写ってるのが見えるだろうか。

この鍾乳洞は縦に伸びている。
こちらは神庭洞窟よりも奥が深そうだった。
どこまで続いているのか分からない深い闇。
奥は竪穴になっていて、体をひねりながら潜り込む。
モーちゃんだったら絶対ムリ!(^_^;)
そこから少しだけ装備なしでも登ることができた。
その奥にはさらに穴が続いていて、わずかに明かりが見える。
どうやら別の出口がありそうだ。
鍾乳洞に入ったときに風が抜けていたので、別の口があるのは予想していた。
しかし、とてもあそこまで行く勇気はないし、行ったとしても出られる保証はない。
中をウロウロしていてふと上を見上げて愕然とした。
一抱え以上ある大岩が2つ、かろうじて引っかかっているのが目に入る。
今にも落ちてきそうだ。
落ちてきたら避ける場所などないこの狭い空間。
恐ろしくなってあわてて外へと出た。
ここは我々の領域ではないようだ。
車への帰り道、ふと見るとマムシ草が沢山あった。
ギルさん曰く「荒地に多い」そうだ。
マムシ草の茎の模様はまるでマムシのようだし、花も鎌首をもたげたヘビのようで気味が悪い。
神庭洞窟探検を終えても、山は相変わらずこんな感じだ。
国道140号に戻ったところに、古い道しるべを発見。
右は落合に至る
左は三峰山裏参道と彫られている。
横には「大正11年1月大滝村青●團分會建設」とあった。
●の文字は何だか分からず。
團は団らしい。前後から推察すると年だと思うが・・・。
とにかく古い道だというのが分かる。
140号線が国道とされたのは1950年代であるから、この大正11年というのはさらに古いものだ。もっとも国道とされる以前から道はあったのだろうが、それがいつからあったかは調査不足で不明である。
もともと140号線は秩父往還として甲州と秩父を結んでいたのだが、江戸時代などは140号線をそのままなぞる道ではなかったはず。途中の山へ踏み入る道が「秩父往還」と出ていたことからも明らかである。
そして、荒川沿いのこの道は険しい断崖となっていて、川伝いに人力で道をつけるのは困難だったと思われる。

というわけで神庭洞窟を訪ねる章は終わりである。
次はどこに行こうかという短い協議の結果、中津川林道をへて奥地に眠る日窒鉱山が敷いた軌道へと向かうことになった。

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