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日窒広河原沢軌道跡 第3次探索 その3 訪問日 2009/06/28 同行者:ギルさん、モリリさん カメラ:Nikon D90 ついに際奥の地点へとたどり着いた我々。 そこには60年前の軌道の遺構は残っていたのだろうか。 |
詳細地図![]() |
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ようやくたどり着いた軌道終点。 土場は川よりだいぶ高い場所に位置し、広く平らにならされていた。 ここが使われなくなってから根付いたのだろうか、大木が育っている。 |
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さらにもう一段高くなった土場に上がると、ここが賑やかだったころの忘れ形見と思われる、湯飲み茶碗が落ちていた。 |
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そして、ここで寝泊りして生活した証拠となる、御飯茶碗。 60年も経っているにしては綺麗な気がするが、せとものというのは色あせないものなのだろうか。 しかし、ここの土場跡には、こういうところにつきものの酒の一升瓶が1本も無いのはどうしたことか。 今から60年も前に人も通わぬ山奥で酒無しで生活できるとは考えられない。 間違いなく大量の酒があったはずだが。 |
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斜面の下を流れる川には、たくさんの丸太が転がっていた。 |
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上流を見ると荒れた感じがするのだが・・・。 ここには製材所があったらしい。丸太の中にはあきらかに人の手で切られたものもあった。 |
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ここで昼飯と取った我々は、終点の探索を終えて帰路についた。 今度は川通しに下ってみることにした。 軌道跡とは別に何かの遺構を見つけることができるかもしれないと考えたのだ。 そして、下り始めてすぐにそれは見つかった。 右岸の高い所に石垣が見えたのだ。 もしや別の軌道跡? それともTM7で言及されている古い馬道だろうか。 |
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我々はすぐさま斜面をよじ登ってみた。 崩壊しているが何らかの人手が加わった跡のようだが。 残念ながら崩壊が進んでいて、何かはわからなかった。 |
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さて、山奥の渓流を下っていくと、たいていは滝にぶつかる。 道に迷ったときは、渓流沿いに下っては絶対にいけないというのは、こういうこと。 それなりの装備が無ければ滝を降りるのは危険であり、やってはいけない。 今回はこんなこともあろうかと30mザイルを用意しておいて正解だった。 |
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そして、下りきったところの流れを見ると、グニャリと曲がったレールがあった。 桟橋が崩落して流れに落ちてきたのだろう。 |
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そして滝つぼにももう1本。 こちらは流れに洗われていた。 |
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ジョイント部がもげている。 強い力でねじ切られたようだ。 |
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それは、さらに川を下っていった我々の目に突然飛び込んできた。 あった! 運材台車(トロッコ) の車輪だ! その存在は、うちからリンクを張っている「はじめ-さん」が報告していた。 しかし、詳しい場所にまでは触れらておらず、我々が見つけることはできないかもと、なかば諦めていたのである。 その幻の車輪が無造作に河原におかれている! |
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我々は、はやる気持ちを抑えて滝を降り、そのそばへと向かった。 そこには赤錆てはいるが、しっかりと形を留めた車輪があった。 軸受けごと錆び付いて固まってしまった車輪。 60年前はゴトゴトと音をたてながら、レールの上を転がっていた車輪。 今、ここにこうしてあるのは奇跡に近いことだ。 |
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フランジ間は約500mm。 一般的な森林鉄道は軌間762mmだから、かなり異例だ。 しかし、ここ日窒広河原沢軌道は、鉱山会社が敷設したものだ。 そして鉱山に使われる軌道は軌間500mmが普通。 つまり、この軌道は鉱山軌道を流用したものと考えられるだろう。 |
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モリリさんが流れに落ちていたレールを拾ってきて、車輪を載せてみた。 60年ぶりのレールの感触はどうだ?と車輪に聞いてみたいものである。 |
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名残惜しくいろいろな角度から写真を撮りまくる。 再びここへ来ることはあるのだろうか。 私は何度も何度も振り返りながら、後ろ髪を引かれる思いで、流れを下った。 |
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広河原沢の入渓地点近くの作業道に落ちていた、懐かしいビール缶。 かつてすごいブームになったものだ。 あのころはちょうどバブル景気の頃だったろうか・・・。 ほんとに懐かしい。 |
まる1日を費やしての日窒広河原沢森林軌道の廃探が終わった。 下見も含めると3回目の調査で、ようやく目的の終点まで行くことができた。 辿ってみれば分かるが、はっきり言ってよくこんなところに軌道を敷いたなというのが率直な感想である。 60年前といえば交通網もろくに発達していなかったころ。トラックだって信頼できるものではなかったろうに。 そんな時代に、こんな山奥で働いた男たちには頭が下がる思いだ。 そして、その軌道は人知れず朽ち果て、やがて自然に帰っていくのだろう。 いつかまたチャンスがあれば訪れてみたいものである。 |
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