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日窒広河原沢軌道跡 第3次探索 その1

訪問日 2009/06/28 同行者:ギルさん、モリリさん          カメラ:Nikon D90

前回(2009年5月10日)、まさかのハグレ事件によって終点まで行きつけなかった廃探倶楽部だが、その落とし前をつけるために「日窒広河原沢軌道跡」に乗りこんだ。
前回は奥の軌道起点にあたる索道上部盤台までは行き着くことができたが、そこにはレールは無かった。
レイルマガジン社のトワイライトゾーン MANUAL 7(以下、TM7)によると、そのさらに奥に敷かれたままのレールが残っているという。
前回、倶楽部員のギルさんは索道上部盤台すら見ていないので、今回こそは軌道終点まで行くつくのが目的だ。 
今回は廃探倶楽部2名に加え、源流釣り仲間のモリリさんも参加して、3名での廃探となった。

万全を期すために前日の晩よりモリリさんと道の駅大滝温泉に向かい、そこでギルさんと待ち合わせする。梅雨の中休みか、幸い天気も持ちそうで一安心だ。車の中でゆっくりと眠り、出発時間の午前5時を迎えた。

※ 右岸・左岸の表記は、上流から下流を見て右手が右岸、左手が左岸とするのが決まりである。




        第1次廃探の様子はこちら


        第2次廃探の様子はこちら
詳細地図

        
前回はこの壊れた桟橋の手前で谷を下り流れに降りたが、今回は強引に突破。
なんとか落ちずに持ちこたえてくれた。
左:先頭を切って朽ち果てた桟橋に挑むモリリさん  右:慎重に渡ってくるギルさん
二人とも源流釣りのベテランで、こういうシチュエーションには慣れている。
朽ちた桟橋を越え、落ちかけた吊り橋を過ぎると、道は左岸へと渡る。
我々もそれをトレースし、流れを渡り対岸の斜面に取り付いた。
崩れかけた道をしばらく行くと右岸上部に、なにやら人の手が加わったような跡が見て取れた。
どんな小さなことでも見過ごすわけにはいかない。我々は対岸の斜面を登った。
すると、思ったとおり尾根を切り崩した場所だった。
果たしてこれは何だろうか。飯場跡? それとも索道の盤台か?
いや、ここは索道の通り道のようだ。
索道上部盤台からワイヤーを伸ばしてくると、この尾根の出っ張った部分に干渉したのだろう。そこでここを切り崩し、下へと索道を伸ばしたのだと思われた。
実際、この辺りの流れには太いワイヤーが上流より残されており、第2次廃探の際に発見した左岸の広場まで続いているのだ。

切り崩した場所の下流方向を見ても、道のようなものは続いていない。
ここだけを崩した様子が見て取れる。











ここは奥の二股、南の沢と北の沢を分ける尾根。索道上部盤台へと登る九十九折れの道である。
スタスタと軽やかにギルさんが登ってくる。














そして、索道上部盤台跡に無事たどり着いた。
ここまでの詳細は第2次廃探で紹介しているので、そちらを参照してほしい。
索道に使われた滑車
落ち葉に埋もれて錆びついていた。
ここには石垣が組まれている。
写っている1段目の上が軌道跡だ。
一部崩れている部分はあるが、60年以上前のものが良く残っているものだ。













 前回、一人で上部盤台跡より先に行ったが、
 それはほんのわずかな距離であった。
 ここからは未知の領域だ。
 果たしてレールは残っているだろうか。
 そしてワクワクさせてくれる発見はあるのだろうか。













 軌道跡は崩れまくり。
 ここはもともと桟橋だったようだが、踏み抜かないよう慎重に進む。
 まだレールは現れない。
まともに歩けるような場所ではない。
足の幅やっとの場所も頻繁にあった。
振り返って撮影。
ギルさんも慎重に進んでくる。











 レール

 キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!!!!

 歩き始めて約3時間。ようやく上部軌道跡にてレールとご対面!
 ついにここまできたのだ。













ここから先は次々と現れるレール。
笹薮の中に残されていたり、斜面に転がっていたり・・・。
しかし、残念ながら枕木は無く、レールだけが60年もの歳月が過ぎたことを
教えてくれていた。














 おっと、まだ大きく崩れている。
 全く気が抜けない状況が続く。
はじめて2本並んだレールがあった。
しかし、やはり枕木が無いので軌間は不明だ。
この先、どんな遺構が待ち構えているのだろうか。
3人は、はやる気持ちを抑えてゆっくりと慎重に進んだ。

 
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