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高島貨物線(横浜臨港線・山下埠頭線)

訪問日 2008年11月 2009年4月                 カメラ:Nikon D2Xs

鉄道の廃線跡というと地方ローカル線や山奥の森林鉄道と思われがちだが、実は大都会においても存在する。それが今回紹介する港街横浜にある高島貨物線(横浜臨港線・山下埠頭線)跡である。
今年(2009年)は開国・開港150周年にあたるそうで、開国博Y150が開催され連日多くの人で賑わっている。
また、ご存知のように横浜は鉄道発祥の地でもあり、明治5(1872)10月14日に、新橋〜横浜間(29km)に日本初の鉄道が開業している。このときの横浜駅は現在の桜木町駅であり、今回紹介する高島貨物線に程近い駅である。
そんな歴史を持つ横浜に廃線跡があるなど意外だが、しっかりと残されているのだ。おそらく横浜を訪れたことがある人なら、ご存知だと思うが、汽車道という道がある。名前のとおり、ここがかつての軌道敷きを利用して作られた道なのである。
ここは1998年に整備され、桜木町駅前から三基のトラス橋を渡り、新港地区の横浜ワールドポーターズ前へと通じている。さらに、その先の山下臨港線プロムナードへと続き、桜木町から港の見える丘公園に通じる「開港の道」の一部となっている。
高島貨物線の廃線跡は、あまりにも都会にあるためか取り上げられる機会もないような線であるが、どんな状況になっているのだろうか。

高島貨物線(横浜臨港線・山下埠頭線)
軌間 1067mm

開業
横浜臨港線
高島駅(0.0km) - 東横浜駅(1.8km) - 横浜港駅(4.3km)
 1915(大正4)年12月30日 貨物支線 程ヶ谷 - 高島 - 東横浜間(5.31km)が開業。(貨)高島駅、(貨)東横浜駅が開業。
 1920(大正9)年7月23日  東横浜 - 横浜港間(2.57km)延伸開業。横浜港駅が開業。

山下埠頭線
横浜港駅(0.0km) - 山下埠頭駅 (2.0km)
 1965(昭和40)年7月1日 貨物支線 横浜港 - 山下埠頭間 (2.0km) が開業。(貨)山下埠頭駅が開業。

廃止
 1986(昭和61)年11月1日 横浜港 - 山下埠頭間 廃線。高島 - 横浜港間の貨物営業を廃止し、旅客営業路線として存続。
 1987(昭和62)年3月31日 高島 - 横浜港間 (4.3km) 廃線。
Wikipediaより


























Wikipediaより

▲ これは昭和30年代の横浜港の地図である。
これを見ると現在の新港地区とは違って、かなりの線路が敷かれていたことが分かる。
このときはまさに物流の拠点だったわけだ。
地図の右手が山下埠頭だが、この時点ではまだ山下埠頭線は開業していない。
高島貨物線
▲ 現在の地図。
マウスカーソルを乗せると線路図に切り替わる。
高島貨物線
▲ こちらは現在の航空写真。
マウスカーソルを乗せると線路図に切り替わる。

▲ 上記の地図に撮影場所を描きこんだもの。
地図をクリックすると別窓で表示
地図上No.1の地点

ランドマークタワーの展望台より。
赤のラインが高島貨物線の廃線跡だ。
かつて物流を担った線も、いまではカップルや家族連れなど、大勢の観光客の歩く名所となっている。
桜木町駅の手前から左に枝分かれした横浜臨港線は3つの鉄橋を渡り、横浜港駅へと向かった。
この線の開業は古く、1920(大正9)年。今から89年も前である。
現在、横浜港駅までの廃線跡は「汽車道」として、歩道化されている。
高島貨物線 地図上No.2の地点

横浜港駅のあった新港地区をランドマークタワーから見る。
かつて倉庫がひしめき合っていた場所も、現在は観光地となっていた。

写真にマウスカーソルを乗せると、線路図を表示
港二号橋梁から見るランドマークタワー。
地図上No.3の地点から撮影

港二号橋梁

横浜市の歴史的建造物に指定されている。
設計者はCooper,Schneider
設計年は1898年
製作者はAmerican Bridge
形式:複線プラットトラス

明治40(1907)年に鉄道院によって架設された鋼トラス橋である。


港三号橋梁の説明板があった。
この橋は北海道からはるばるやってきたようだ。
平成9年に移設されたとなっているから、もともとは別の橋が架かっていたのか。
その、オリジナルの橋は撤去されたのだろうか。


形式:ポニーワーレントラス(ピン結合),上路プレートガーダー
港三号橋梁とランドマークタワー。
このビルはどこからでも見え、そして絵になる。
このように汽車道にはレールが敷かれている。
このレールは現役時代そのままなのだろうか・・・。
鉄橋の幅は複線分あるのだが。
高島貨物線 地図上No.4の地点から撮影

かつての横浜港駅付近より、ランドマークタワーを望む。
90年近い時の流れは横浜の港を大きく変えた。
SLが黒い煙をもくもくと吐き、沢山の貨車を引いていた面影は、わずかにレールや鉄橋に残されているだけとなった。

マウスカーソルを乗せるとレール位置を表示
地図上No.5の地点から撮影

みなとみらい21を望む。
みなとみらい21地区の開発は、かなり前から計画されていたようだ。
横浜ランドマークタワーは1990年に着工され1993年に完成した。
その後も開発は進み、高島線が走っていた頃とは大きく変わってしまった。

私が若かりし頃に何度も横浜へ遊びに来ているが、山下公園や中華街といったところが有名で、こちら側は倉庫の建ち並ぶ区域であり、遊ぶ所ではなかったと思う。
もちろん、そのころは高島線も現役であった。
地図上No.6の地点から撮影

有名な赤レンガ倉庫。
ここにも引込み線があった。

赤レンガ倉庫は、明治末期から大正初期に国の模範倉庫として建設されたレンガ造りの歴史的建造物。
赤レンガ2号倉庫は1911(明治45)年に、赤レンガ1号倉庫は1913(大正2)年にそれぞれ竣工されている。
今からおよそ100年前。この同じ景色を眺めていた人々は何を思っていたのだろう。
高島貨物線 万国橋より汽車道を望む。
万国橋は馬車道と新港をつなぐ橋。
港一号橋梁から三号橋梁までが見渡せる。

マウスカーソルを乗せると軌道跡を表示
新港橋梁

廃線跡は赤レンガ倉庫の前を抜けて、山下埠頭へと向かう。
ここは「山下臨港線プロムナード」と呼ばれる。


新港橋梁は大正元(1912)年、国産トラス橋として、イギリス式トラス橋を模して、大蔵省臨時建築部が設計し浦賀船渠で施工された。

形式:単線ポニーワーレントラス(リベット結合)
地図上No.7の地点から撮影

新港橋を新港側から撮影。
先に見える丸いドームの建物は「横浜税関(クィーンの塔)」
左手の芝生の広場は象の鼻パークだ。
橋上にはレールが残されている。
かつて貨物が走ったところを、今はベビーカーを押した家族連れやカップルが行きかう。
銘版がある。
大正元年!
私なんかが生まれるはるか前だ。なんかベタなコメントしか出てこない・・・。

山下臨港線の廃線跡は終点へと向かう。
この辺りにはレールは残されていない。
というか、この先にはもうレールは無い。
「開港の道・山下臨港線プロムナード」と書いてあるが、ここがかつて線路だったと知っている人はほとんどいないだろうな。
ここでは山下臨港線となっているが、山下埠頭線とどちらが正しいのだろうか。

地図上No.8の地点

廃線跡は少しずつ登りとなり、高架上を行くようになる。
以後、山下公園まで高架橋が続く。
現在は取り壊されてしまったが、山下公園沿いにも高架があった。
そう言われると若い頃に見た山下公園の景色には、高架線があった記憶がある。
廃線跡はビルの間を抜けていく。
この辺りに大桟橋へと続く道に下りる階段がある。
この部分はガーダー橋になっている。
地図上No.9の地点

大さん橋通りから高架線を見上げて撮影。
上の写真のガーダー橋が「WELCOM〜」と書いてある橋だ。

高島貨物線 地図上No.10の地点

大桟橋より赤レンガ倉庫や新港橋梁を振り返る。

写真にマウスカーソルを乗せると軌道跡を表示
高島貨物線 山下埠頭線の高架部分。

写真にマウスカーソルを乗せると軌道跡を表示
地図上No.11の地点

大桟橋より山下埠頭方面を見る。
有名なマリンタワーや山下公園が見える。

緑の続いている辺りにかつて高架線が走っていた。
山下埠頭にはまだレールが残っているらしいが、一般の人は立ち入ることができない。
覗くことくらいは出来ると思うので、次の機会に訪れてみたい。
横浜は鉄道発祥の地であり、また西洋文化の入口でもあった。そしてそこには鉄道が真っ先に敷かれ、重要な役割を担っていたのである。
しかし、時代は移り変わり、150年の月日が流れると、横浜も変わっていった。今では観光の街として多くの人々が訪れている。
この横浜臨港線と山下埠頭線には、今から30年前の1980年「開港120周年」では、SL(C58 1)が運転された。当時、私は高校生。まだ鉄道に興味が残っていたと思うのだが、このイベントには行っていない。
また、1989年の横浜博では、この線路に最後の列車が運行された。
そして、横浜臨港線と山下埠頭線は長い歴史に終止符をうち、今では遊歩道として生まれ変わり人々に利用されている。
今回、観光のついでに探索した高島貨物線跡だが、意外にしっかりと保存されていた。実はこのレポート書く上でいろいろ調べていて知ったのだが、横浜港駅のホームも残されているらしい。こんな重要な遺構を見逃していては廃探倶楽部失格だ。また次回の機会にはしっかりと写真を撮ってこようと思う。

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