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武州中津川森林鉄道

訪問日 2009/05/10 同行者:ギルさん          カメラ:Nikon D90

「日窒広河原沢軌道跡」の廃探が失敗に終わった我々は、落胆しながらも近くの廃をめぐってみることにした。広河原軌道から最も近い廃線跡は「武州中津川森林鉄道」である。
この森林鉄道は東京営林局が敷いたもので、1943(昭和18)年に起工されて、1947(昭和22)年に信濃沢入口まで竣工。1953(昭和28)年には機関車導入と同時に一部路線変更。1955(昭和30)年にケンブン河原まで延長され、翌年には協三工業製ガソリン機関車を導入した。しかし、その3年後の1959(昭和34)年に廃止されてしまった。本格的な機関車導入後、たった3年で廃止してしまうとは、なんとももったいない話である。
のちに本文でも紹介するが、ガソリン機関車導入時にも路線変更や線路強化などが行われたのではないだろうか。そういった投資は決して安いものではなかったと思うのだが。
そして、廃止後はどうなったかというと、多くの森林鉄道が辿ったのと同じように、林道化されてしまったのである。
ということは当然、軌道跡を道路としてしまうので、林鉄の遺構はほとんど残っていないのが常である。しかし、この中津川森林鉄道は思っていたよりも多くの遺構が残っていたのだ。
では、それらを写真で紹介していこう。

武州中津川森林鉄道
東京営林局秩父営林署
動力 手押し・牛力→内燃
軌間 762mm
距離 中津川-検分河原 9.8km
開始 昭和22年(1947)
廃止 昭和34年(1959)
埼玉県秩父市

※全国森林鉄道(JTBパブリッシング)より
地図上No.1の地点

武州中津川森林鉄道の終点だった土場は、現在は「彩の国ふれあいの森 埼玉県森林科学館」となっていて、往時の面影は全く残っていない。
写真は宿泊施設のこまどり荘。ここには日帰り温泉もある。
実は当日、廃探後の汗を流そうとしたら、なんと16:00で終わりだった。
土日・祝日の11:00〜16:00まで入浴できるそうなので、立ち寄りの際には利用してはどうだろうか。
ここふれあいの森には、森林科学館があり、林業に関することが紹介されている。
となると、とうぜん森林鉄道のことも紹介されていると思って、入館してみた。ちなみに入館は無料。
ところが、林鉄に関する記述は全く無し! これにはビックリするやら呆れるやら。
森林鉄道があった場所に作られた施設にしては、ちょっとお粗末ではないだろうか。
敷地も広いのだから、機関車などを保存していてくれたらと、残念に思う。もっとも今では機関車も何も残っていないが。

科学館の中にあった当時の写真。
これにも林鉄らしきものは写っていない。写っているのは索道のようだ。
上の写真のアップ その1
山へ向かって索道が伸びている。
アップ、その2
ここにも索道しか写っていない。
期待して一通り見てまわったのだが、林鉄に関するものは一つも無かった。
こんなのだったら、先に温泉に入っていれば良かったよ(T_T)
木馬
軌道を敷かずに山から下ろすには、こういう手段もあるのだと初めて知った。
しかし、ブレーキも付いていないようだが、大丈夫なのだろうか。
こちらがその木馬を再現したもの。
エンドレスになっているということは、実際に押してみることができたのだろうか。
疲れているからやらなかったけど・・・

地図上No.2の地点

さて、それでは武州中津川森林鉄道の跡を辿ることにしよう。
ふれあいの森から中津川林道へと車を進める。
するとすぐに古い家が出迎えてくれる。
たたずまいからして、林鉄時代からありそうな雰囲気の建物だ。
屋根にはトタンが飛ばないように、自然石を重石にしている。
今ではまず見ることが出来ないものだ。
地図上No.3の地点
ふれあいの森を出てしばらく行くと、ベッドの沢を渡る橋がある。
右手を注意しながら行くと、なにやら平場が回りこんでいるのが目に入る。

ここが1番目の遺構がある場所だ。
この平場は林鉄の路盤だったものだ。
車を止めて奥へと辿ってみた。
橋だ!
レールや枕木は全く残っていないが、コンクリートのガーダー橋が残されている。
橋台は石積みの上にコンクリで固めてある。
ベッドの沢上流側から見てみる。
この沢はかなり荒れていて、水が出るたびに崩れているようだ。
ギルちゃん、渡るん?
水が出て押されたのか、山側の橋桁が斜めにずれている。
渡りきったところの平場。
林道へと復帰している。
橋桁に乗って撮ってみた。
コンクリ製なら安心して乗ることができる。
ベッドの沢を渡った軌道は、ここで林道へと復帰する。
かなり急カーブだが、ガソリン機関車入線後もこちらのルートだったのだろうか。
入川森林軌道でも矢竹沢を渡るところで同じように沢の上流に回りこんでいた。
森林鉄道は現在のように土木技術が発達していなかったころに敷かれたものなので、橋はできるだけ短い距離でかけるようにしていたのだろう。


車を走らせながら何か無いかとキョロキョロしてると、何やら標識のようなものが目に入った。
レールを発見!
黄色く塗られた細いレールは、間違いなく林鉄のものである。
見ると刻印がある。
N.S.K.K 9.
調べてみたら「日本砂鉄鋼業」ではという情報があった。
最後の9は9kgレールということだろう。
他にもまだまだ使われている。
行ったときは注意して見てほしい。
地図上No.4の地点。
ふれあいの森から2つ目のトンネルと抜けたところで中津川に沿って左側に回りこむような平場を発見。
これは間違いなく軌道跡だ。
ここだけは、ふれあいの森へと戻る方向に辿っている。
おお! 石垣もあるぞ!
ギルちゃんの姿から石垣の高さが分かるだろう。
軌道跡を辿っていく。
軌道跡には上から落ちてきた岩や落ち葉が積もり、廃止後の年月を感じさせる。
根付いた木々が生長し、やがて自然へと還っていくのだろう。
回り込む頂点の辺りには、なんと切通しがあった!
荒々しく岩を崩しただけのもので、いかにも林鉄といった雰囲気がある。
ここは林道からは全く見えない位置だ。
回り込んだ側も同じように荒れていた。
同じようにこちらにも石垣がある。
一段降りたところから撮影。
立派な石垣だ。
この林鉄の建設が始まったのが1943年。いかに大変な工事だったか想像がつく。
もう少しで林道に出るところ。
かなりの量の岩が上から落ちてきている。
こんなのの直撃を食らうのはゴメンである。
林道に合流。
こちらはふれあいの森側。
扁額も無い無名隧道だ。
ネコパブリッシングのトワイライトゾーンMANUAL 7(TM7)によると、かつてこのトンネルの手前に犬釘つきの枕木が1本顔を出していたそうだ。
残念ながら写真を拡大してみても、見当たらない。
1996年のことらしいから、すでに13年も前のこと。残っているわけがないか・・・。
地図上No.5の地点

さて、トンネルをまわりこむように残っていた軌道跡に興奮した私たち、さらに先へと車を進めた。
そのすぐ先にあった橋。
この橋は古そうだけど林道化されたときのものだろう。
特に見るべきものはなさそうなのだが、油断は禁物。
橋下をのぞいて見ると・・・。
ん!? 何かあるぞ!
林鉄の古い橋脚だ。
現道の橋の下に小さな橋脚が静かに佇んでいた。
そう、ここ中津川林道は林鉄跡を林道化したと言っても、古い橋の跡が意外と残っているのだ。
おっと、またあったよ、レール!
「注意 CAUTION」の標識は今では貴重だとか。
地図上No.6の地点。

鎌倉沢に掛かる鎌倉橋。
この橋の下にはかなりの大きさの橋脚が眠っている。
長野側の親柱には
昭和35年(1960)3月竣工とあるから、この橋は間違いなく林道化されたときに新しく架けられた橋だ。
橋の袂から降りてみると・・・。
あった、結構大規模な橋脚だ。
コンクリート製でかなりしっかりしている。
これは1956(昭和31)年に協三工業製3.5tガソリン機関車が入線したときに改修されたものだろう。
上の写真からちょっと引いた構図で。
両側の橋台も残っている。
橋の真下に来た。
対岸へと橋の遺構が残っているのが分かる。
林鉄にしてはかなり本格的な橋台&橋脚だ。
夕方のやわらかい光が林鉄の橋脚を包み込む。
現道の橋との関係はこんな感じだ。
かなり、かさ上げされているのが分かる。
にしても下から見たこの橋、なんか作りが変な気がする。
橋桁が二重になっているが、こういう作りは普通なのか?
内側のガーダープレート、幅といい作りといい、鉄道に良くある橋の構造に見えるのだが・・・。
う〜ん・・・???
お、内側のガーダープレートに銘盤があるぞ。
拡大してみた。
何!? 東京営林局!
昭和32年!
昭和32年(1957)って廃止前だぞ。
それに営林局だし。
ってことはもしかして・・・。
そして外側のガーダープレートにも銘盤がある!
こっちは1960(昭和35)年だ!
それに森林開発公団建造ってある。
やっぱりそうだ。内側のガーダーは森林鉄道のために作られたものだ。
ガソリン機関車の導入後に橋を架け替えたのだが、たった2年で廃止されてしまったので、あまりにももったいないから、そのガーダーを利用したのだろう。しかし、それでは車道としての幅が足りないから、広げるために新たに外側にガーダーを新造してつなげたのだ。
ほんとにビックリさせられる橋だ。

しかし、ここで時間はすでに17時。残念ながら時間切れだ。この先、まだまだ遺構が残っているらしい。
次回また訪れることになるだろう。
日窒広河原沢軌道探索後に時間が余ったついでに寄った武州中津川森林鉄道跡。
思った以上に収穫を得ることができた。何より車に乗ったまま廃探できるのは楽である(笑)
山奥のさらに奥にある遺構を訪ねるのは、それはそれでわくわくするものだが、危険も多いし時間も掛かる。息抜きにこういうところを巡ってみるのも楽しいものだ。
次回のチャンスには終点までの探索と、信濃沢支線についても調べてみたい。信濃沢支線は400mほどの短いものだが、林道から外れているので、レールなども残っているかもしれない。とても楽しみである。

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