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日窒広河原沢軌道跡 第2次探索 訪問日 2009/05/10 同行者:ギルさん カメラ:Nikon D90 2008年の5月に訪れたものの、時間的制約からきちんと調査できずに終わっていた「日窒広河原沢軌道跡」の廃探。今回は再度情報を収集し、きっちりと調査を終わらせるつもりで乗り込んだ。 この軌道について書かれている書物は、レイルマガジン社のトワイライトゾーン MANUAL 7(以下、TM7) しかない。また、ネット上においても、はじめ-さんの記録しか無いという、幻の軌道である。 TM7によると、この日窒広河原沢軌道は中津川の支流、神流川の広河原沢という沢の奥にあったらしく、日窒工業開発(株)の鉱山で使う坑木と炭の運搬を目的としていたとされる。切り出した木材の行き先は、ヤナセ鉱業所(現・(株)ニッチツ)の大黒鉱とのこと。 そして、実際に軌道があったのは昭和10年代後半から20年代前半までだったようで、とても短い期間しか使われなかったらしい。 なぜ、人も通わぬような山奥のさらに奥に軌道が敷かれたのかというと、明治初期から昭和の戦後にかけて、埼玉・長野の県境の十文字峠から、群馬県の上野村に抜ける馬道があったらしい。その道沿いの広河原沢上流部にて、坑木に最適な栗の木が見つかったために、それを切り出す目的で軌道が敷かれたようだ。 現在ならば上流部から索道で一気に下ろすようなところでも、当時の技術ではそれも出来ず、索道起点に適したところまで軌道で運び出すしかなかったというのが軌道が敷かれた理由らしい。 ※ 右岸・左岸の表記は、上流から下流を見て右手が右岸、左手が左岸とするのが決まりである。 |
![]() 第1次探索の様子はこちら |
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詳細地図![]() |
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1年ぶりに訪れた広河原沢。 車を止めた林道から、一つ目の堰堤が眼に入る。 |
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河原に下りて広河原沢を渡渉すると、すぐに右岸に作業道が通っているので、そこに上がった。 このときは、すぐあとに起こるハプニングなど想像もつかなかった。 |
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5月の山は、まさに萌えるような新緑。 紅葉の季節に勝るとも劣らない美しさだ この新緑の奥に幻の軌道が眠る。 |
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ギルちゃんが「暑いから薄着になるから、先に行ってて」と言うので、一人で歩みを進めた。 このところあまり体調が良くなく、歩くのもゆっくりなので、絶好調のギルちゃんは、すぐに追いつくはずである。 ここは広河原沢の右岸から注ぐ支流で、先ほどの右岸の道をくると、この写真の左手から堰堤の下に出ることが出来る。 詳細地図の支流に一つ記されている堰堤だ。 この堰堤は広河原沢からすぐのところに作られていて、TM7の記事の時点 (97.5.17)では、まだ無かったようだ。 |
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なにやら赤錆びた鉄材が落ちていた。 軌道に関わるものだろうか。 |
![]() ここにA型フォードのエンジンが落ちているはずだった・・・。 TM7の187ページの写真と同じ場所から撮影したものだ。TM7を持っている人は見てもらいたい。 TM7の写真の時点では堰堤が無かったが、二股になっている木の形が全く同じであることから、同じ場所から撮影したものと分かるだろう。 TM7では、写真の真ん中くらいの位置にエンジンが写っているのだが、見当たらなかった。 残念ながら土砂に埋もれてしまったのだろう。 遺物としては大きなものだっただけに、とても残念なことだ。 詳細地図で「A型フォードエンジンがあったとされる場所」と記されている位置である。 エンジンの代わりに太いワイヤーが写っている 索道のものだろうか。 このとき、前方に2人の釣り人がいた。 その2人がこちらに戻ってくるときだったのだが、「チリーン、チリーン」という熊避けの鈴の音が聞こえたのである。 私はてっきり釣り人がつけているものだと思ったのだが、後で考えてみるとギルちゃんのだったようだ。 この場所で私が写真を撮っていたことが、今回の騒動の発端となってしまった。 なんとギルちゃんとはぐれてしまったのだ。 まだ出発して10分ほどしか経っていないのに!。 鈴の音が聞こえたことで、てっきりギルちゃんが私に気づかずに先行してしまったのだと思った。 なのですぐに堰堤下に戻り、そこから広河原沢の奥へと続く山道を辿ったのである。 |
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先ほどの場所からちょっと行くと8m2段の滝が現れる。 道を辿ると下に見える。 |
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そして、昨年引き返した地点に辿りついた。 ここは昔は桟橋が掛かっていたようで、今ではその残骸が名残をとどめているにすぎない。 トラロープが張られていて、一応踏跡程度にはなっている。 渓底までは20mほどだろうか。 結構な急斜面で、谷底へ降りるにはこういう場所への慣れが必要だ。 |
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トラロープにつかまり辿っていくと、何やら岩から生えている。 桟橋を作ったときのアンカーだろうか。 触ってみると鉄のようである。 ここを慎重に上がり、腐った桟橋へと近づいてみた。 |
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うわ、こりゃヤバイだろ。 はじめさん達はこれを渡ったらしいが、片足を乗せて体重を掛けると、グラグラする。 とてもじゃないが両足乗せて全体重を掛けるのは無謀と判断した。 |
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さて、こちらの写真は、昨年に上の写真の桟橋を撮影したものだ。 探索時には気づかず、後で写真を見ていた「ん、これはレール?!」と思ったものである。 しかし、この角度からでは単なるH鋼のようにも見え、もう一度確認しなければと思っていた。 |
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そして第2次探索でしっかり確認してきた 間違いなくレールだ。 それも2本引っ掛かっている。 このちょっと下流にも2本のレールが斜面途中に引っ掛かっていた。 これが何を意味するのか・・・。 私は「ここにも軌道が敷かれていた」と考える。 TM7の聞き取り調査では、谷の奥にしか軌道が無かったとされているが、奥の索道上部盤台から林道まで1本の索道で下ろしてくるのは地形的に無理があると思われる。 谷は8m滝の上流右岸に尾根が張り出していて、ここを真っ直ぐにクリアできないのではないだろうか。 となると、8m滝の上で索道は終点となり、その下は軌道に頼るしかないと思われるのだが・・・。 |
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さて、桟橋を渡るのは危険だったので、急斜面を慎重にくだり広河原沢の流れに立った。 これは、下から見上げた先ほどの桟橋だ。 |
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桟橋下の流れにも1本のレールが落ちていた。 こいつは比較的真っ直ぐだ。 6kgレールだろうか、ほんとに細いレールだ。 |
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ここからしばらくは流れに沿って行くことにした。 それにしてもギルちゃんに全く追いつけないのはどういうことか。 間違いなく先ほどの桟橋を通っているはず。 彼もまさかあれは渡らないだろう。 だとするとそこを数分で通過することは無理と思われる。 ということは追いつくか、遠くに姿くらい見えてもおかしくないのだが・・・。 そんなことを考えながら遡行して行くと、30mほどの滑滝が現れた。 その上部には古い吊橋が!。 軌道が存在したのはもう60年も前のことなので、これはその後に掛けられたものだろうが、これとて数十年は経っていることだろう。 道はここで右岸から左岸へと渡っていた。 |
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もっと接近してすぐ下へと来た。 朽ち果てて落ちる寸前だ。 |
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吊橋から再び道へと上がってみたが、ご覧の有様だ。 この辺りも桟橋だったようだが、半分埋まっていて使い物にはならない。 というかこんなのに頼るのは危険である。 踏み抜かないように慎重に進んだ。 斜面の中腹に道らしき跡があるのが見えるだろうか。 |
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ところどころに、かつてここに人が働いていたという名残が見て取れる。 サビサビになってしまったパイプ状の物体。 煙突か何かか? |
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そして、のた打ち回る太いワイヤー。 おそらく索道のものだろう。 このワイヤーは上流からずっと繋がっている。 |
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これも索道関連のものだろうか。 |
林道の入渓点から距離的には半分くらい来ただろうか。このあたりまで来ると渓流釣りや沢登りのフィールドである。釣り人が入った痕跡はところどころに残っているが、廃線を訪ねて来た者はそう多くはないだろう。 作業道はずっと左岸の斜面に付いていたが、あちこちで崩壊していて苦労させられる。それを辿るなら渓流沿いを歩いたほうが楽である。このあたりは間違いなく索道だったのだから、たんなる作業道を辿る意味は薄いと思われた。 |
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左岸の道はこんな感じだ。 使われなくなって何十年と経っているのだろう、あちらこちらでご覧のありさま。 |
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このように桟橋を掛けているところも多い。 しかし、桟橋は例外なく腐っており、渡る気にはなれない。 |
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支流をまたぐ木橋。 苔むして自然に還ろうとしている。 道もほとんど失われており、人々の営みはもうじき何の痕跡もなくなり、忘れ去られることだろう。 |
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奥の二股が見えてきた。 出発してからここまで2時間弱。 思ったより時間を食っている。 それにしてもギルちゃんには全く追いつけない。 姿が見えないどころか、痕跡もないのはどうしたことか。 長年、渓流釣りをやっていると、前を人が歩いているかどうかは、岩に残された濡れた靴跡や、砂地に残る足跡で分かるもの。今回もギルちゃんが前を歩いているのだから、何らかの痕跡があってもいいはずなのだ。 時折笛を吹いてみるのだが、全く応答もない。 「おかしいな・・・」私は何度も何度も独り言を言っていた。 もしかしたら、あの二股で待っているかもしれない。渓流釣りでは流れが分かれるところや道が分かれるところでは、後続を待つのが私たちのルールなのだ。 「うん、きっとそこにいるさ」 私はそう信じて歩みを進めた。 |
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早足で二股に着いた私だったが、そこにギルちゃんは居なかった。 「え〜、そんなはずないよ、居るはずだろ」 ここに居ないわけがないのだ。 なぜなら、彼は地図を持っていない。ここまでは渓に沿ってくれば間違うようなことろはないのだが、この先はどう進むか彼は詳しく知らないはずである。 「どこかで追い抜いたのか? いや、渓が見えるところを歩いていたのだから、それはあり得ないだろう」 もう私の頭の中はデカイ?でいっぱいだった。 もし途中で気づかずに追い抜いていたら、少し待っていれば来るかもしれない。 そう思った私は、ここで昼飯にすることにした。 これは右股の支流に掛かっている橋。 もう朽ちていて渡ることは出来ない 渓流釣りの世界では二股の支流を下から見て「右股」「左股」と呼ぶので、ここでもそうすることにする。 |
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軌道は左股の奥に敷かれていた。 そして、軌道で運ばれてきた木材は、この二股の中間尾根の上に設置された索道の上部盤台から下流へと運ばれていたようだ。 TM7によると、作業道はここからその上部盤台まで続いているらしい。 昼飯を食べてからしばらく待ってもギルちゃんはやってこない。 これはいったいどういうことだろう。 1年前に一度訪れている所だし、道は一本道だし・・・。 もしかしたら軌道が左股にあるのを知ってるのだから、先に行っているかもしれないな。 そう思った私は左股を少し進んでみた。 でもやっぱり居そうもなかった。 時間はすでに13時近い。 ここまで掛かった時間を考えると、戻るのにも同じくらい掛かるだろうし、そろそろタイムリミットだ。 |
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私は行動時間を13時までと決め、尾根に続く道を登り始めた。 ここまできたのだから、軌道の一部でも見たい! それが正直な気持ちだった。 尾根道は急なつづら折れで一気に高度を稼いでいた。 山の仕事道にはよくあるパターンだ。 標高差にして200mほどを一気に登った。 |
![]() 12:44 標高1250m付近まで登って、道はようやくなだらかになった。 ここからは尾根の南斜面を等高線に沿って進んでいるようだ。 |
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12:54 しかし、道が水平移動に近くなったからといって楽になったわけではない。 なぜならご覧のような斜面をずっと進んでいるからだ。 わずかながら踏み跡はあるものの、もはや安全な道と言えるレベルではなく、常に緊張を強いられる。 |
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12:54 昼飯を食った二股から20分も歩いただろうか、何やら石垣らしきものが見えてきた! ヨッシャ! ついに来たぜ! |
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12:55 はやる気持ちを抑えて、慎重に斜面を横切り近づいてみると、それは間違いなく人工的に積まれた石垣だった。 ここが60年以上前に森林軌道があった場所だ。 長い年月を経て根付いた木が成長し、石垣の一部を崩していた。 それ以外は驚くほど原型を留めている。 軌道によって奥から運ばれてきた木材は、ここで索道へと移された。そして下流へと運ばれたのだ。 |
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石垣は二段に積まれていた。 |
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太いワイヤーとともに滑車も落ちている。 |
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12:56 そして、この平坦地こそが 日窒広河原沢森林軌道跡 だ! 軌道はここから奥へと続いている。 残念ながら、このあたりにはレールは残っていないようだ。 この先はどうなっているのだろうか。 見たい! 先が見たい! しかし、時間はすでに12:56だ。13時まであと4分しかない。 でもちょっとだけ進んでみよう。 私はどうしても先が見たいという衝動を抑えることが出来なくて、ちょっとだけ進んでみた。 |
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12:57 あ〜、こりゃダメだ。 軌道跡は大きく崩落し、すっかり失われていた。 誰が張ったのか、まだ新しいロープが危険箇所に続いている。 山仕事の人? いや、こんなロープじゃなく、トラロープを使いそうだが・・・。 では我々と志を同じくするものたちだろうか? どちらにせよ、時間的にここを越えて行くのは無理そうだった。 この先を30分も進めばレールが残っているはずだ。しかし、帰路の時間が2時間掛かると考えると、林道に戻れるのは15時になってしまう。 ここまで来てギルちゃんに会えなかったということは、どこで行き違いになったかは分からないが、絶対に私より下流にいるということだ。ギルちゃんだって私のことを心配しているだろうから、これ以上一人で廃探するわけにはいかない。 そう思った私は、ここから引き返し、尾根道を下った。 |
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13:21 急いで渓を駆け下る私の目にグニャリと曲がったレールが飛び込んできた。 吊橋と二股の中間地点くらいだ。 おそらく上流から流されてきたのだろう。 ここから渓沿いを下り、8m滝は右岸の斜面を四つんばいで山道まで這い上がって車へと急いだ。 堰堤を越えたところで遠くにギルちゃんの姿が見えたとき、ホっと胸をなでおろした私だった。 入渓点の堰堤までは約1時間で戻ることができた。思ったよりもずっと早くて自分でも驚いたほどであった。 |
準備万端整えて挑んだ第2次探索であったが、時間切れで軌道まで辿りつくことが出来なかった。思いがけないハプニングがあったが、辿りつけなかったのはそれが理由ではない。たとえ2人で進めたとしても、時間的に厳しかった気がする。おそらく2人で行っていれば終点までは行けたと思う。しかし、ゆっくりと探索する時間は取れなかっただろう。これはもう出発時間が遅すぎたということだ。次回は入渓点に朝6時くらいには到着して、すぐに出発できるくらいでないとダメそうだ。 次こそは全容を解明するべく挑みたい。 さて、それはともかくとして、今回の騒動の真相はどういうことだったのだろうか。 2人で探索を始めたのが9:50ごろ。そしてものの数分も歩かないうちにギルちゃんを置いて先行した。2人が一緒だったのはここまで。たったの10分ほど。そして私が支流の堰堤についたのが10:06。ここで私は本流出合まで20mくらい下り、10分ほど撮影していた。 そしてその間にギルちゃんは私に気づかず追い抜いて行ってしまったと思い込んでいた。 4時間ほど別々に山中を探索して再び会うことができたとき、お互いの行動を報告しあった。 私「俺が写真撮ってるときに気づかずに追い抜いちゃったみたいだね」 ギルちゃん「あ、それではぐれちゃったんだ」 私はデジカメの写真を見せながら 私「この桟橋とか吊橋、あったでしょ?」 ギルちゃん「え、吊橋? 気がつかなかったなぁ。でも奥の二股まで行って、全然追いつかないから変だと思ってさ。で二股を右に行ったらすぐに滝があって、さすがにこれは登らないだろうと思って、左股をいってたのよ。そしたらもう水がなくなるところまで行ったのにいなくて。これはどこかで追い抜いちゃったかもと思って、戻って。2往復くらいしたかな。」 私「え!? 2往復? 水が無くなるところまで登った? それでも俺より先に戻ったの?」 何か変だった。吊橋や二股の木橋も見ていないようだし、水がなくなるくらいのところまで行って2往復も短時間でできるだろうか? そして私より先行して2往復してるのに、全く会わないなんて有得るだろうか・・・。狐につままれたようだというのは正にこのことだろう。 しかし、堰堤の話が出て、ようやく合点が行った! なんとギルちゃんは勘違いして右岸から入ってくる支流を行ってしまったのである。 詳細地図の堰堤が描かれている支流を一人で登ってしまったのだ。それでは何往復しようが出会えるわけはないのだ。私は広河原沢の本流を登っていたのだから。 やはり私が聞いた鈴の音はギルちゃんのだった。ギルちゃんが支流堰堤を越えるときに鳴らしたものだった。私は支流を渡るときに鳴ったと思ったから、先に行かれたと思って追いかけた。でもその時点でギルちゃんは支流の堰堤の向こう側に居たのだから、見えるわけがない。 2人ですり合わせして、ようやく納得行ったのであった。 もう10年以上渓流釣りをやってきて、何十回もこういう渓流を遡っている。しかし、正直今回のような出来事は初めてである。もうベテランのつもりでいたが、まだまだ青いようだ。今後はこんなことがないように気をつけなくてはならないと肝に銘じた出来事であった。 |
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