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入川森林軌道(深部軌道・上部軌道) 別名:東京大学演習林軌道 7(完結)  

 .7(完結)
訪問日 2008/05/04 同行者:ギルさん、モーちゃん   徒歩      カメラ:Nikon D70

今まで6回に渡ってご紹介してきた「入川森林軌道」。この回でついに完結となる。

白泰沢出合の平場を過ぎてさらに上流へと向かった我々は、そこに林業に従事した人々の営みを見つけた。何十年も前の男たちの厳しい仕事の中での息抜きの場がそこにあった。

そして、その先のモミ谷出合に軌道の終点を見た。そこはあまりに物悲しい空気に包まれていた。
14:13
白泰沢を過ぎてさらに先へと踏み込むと、軌道跡はよりいっそう荒廃度を増す。
目の前に立派な橋台が現れた。
いままで上部軌道では目にすることがなかった大きさの橋台だ。
その先には再び一升瓶が散乱。上部軌道に上がったところよりも大量だ。
誰が置いたのか、岩の上にヤカンがあった。
針金で取っ手を修理したのは林業に従事していた誰かだろう。
小屋だ!

山側を振り仰いだ我々の眼に入ったのは、飯場と思われる小屋だった。
荒れ果ててはいるが、外見は当時の姿を保っていた。
小屋の前には水場が作られ、水がめらしきものが散乱していた。
今ではもう利用されなくなった水場は、ヒキガエルの格好の産卵場所と化していた。
恐る恐る扉を開けて中を覗いてみる。
そこにも一升瓶や茶碗が散乱している。
床は抜け落ちてかなり荒れていた。
小屋の作りは中央に土間の通路があり、その両側に板張りの床がある。
左の床はまだ落ちてはいなかったが、鹿のフンらしきものが散乱していた。
屋根はかろうじて体裁を保っているが、梁は折れて今にも崩れ落ちそうだった。
あまり雪が降らない秩父だから倒壊を免れているのだろう。
小屋の入り口のところにはドラム缶風呂が据えられている。
ここで汗を流し、一日の疲れを癒したのだろう。
小屋の位置から見下ろしてみると、水場をはさんで広い範囲で石垣が組まれ、広場を形成している。
他にも何か建物等があったのだろうか。
飯場跡を一通り見て回った我々は、終点目指して再び軌道跡をさかのぼる。
目指す軌道終点はもうすぐだ。
巨大な岩も崩壊し、軌道が経てきた月日の長さを教えてくれる。
14:34
ついにモミ谷出合に到達!
右が赤沢谷本流、左からモミ谷が出合う。
いままで辿ってきた軌道跡は緑に包まれていたが、ここは開けているからか、荒廃しきった場所のように思えた。
そしてまたレールと枕木が現れた。
モミ谷の流れと、ひしゃげたレール。
普段は一跨ぎで超えられそうな小さな流れだが、ひとたび雨が降れば鋼鉄のレールをも曲げる凶暴な谷へと姿を変える。
膨大な土砂に埋まった合流点。
軌道現役時は、ここで切り出した木材の積み込みが行われていたはずだ。
土砂に埋まり赤く錆びたレール。
何に使われたのか、L字型のアングル材が突き出ていた。
捨てられていたファンタオレンジの缶。
この意匠は1960年代後半からのものなので、軌道時代のもので間違いないだろう。
仕事の合間に喉を潤したのか。
使途不明のU字型の金具。
車止めかトロの材木を固定するのに使ったものか?
残念ながら私には分からない。
その下にあるのも何だか分からず。
今思えば引っ張り出してよく調べれば良かった。
巨大な岩によって断ち切られたレール。
赤沢谷出合から2.4kmに渡って敷かれていた軌道も、ついに終点を迎えた。
もうこの先でレールを見つけることは出来なかった。
モミ谷出合の平場は流れによって運ばれた途方も無い量の土砂に埋もれ、軌道現役当時の栄華は見る影も無い。
この先も土砂は永久に堆積し続けるだろう。
軌道の想い出は、かつてここで家族のために働いた男たちの、心の中だけに残り続ける。
7回に渡ってご紹介した「入川森林軌道」いかがだっただろうか。
下部軌道は1983年に一度復活したとはいえ、使われなくなってすでに25年。深部軌道や上部軌道は廃止後39年もの歳月が流れている。
廃止時に生まれた人もすでに中年といえる年齢。実際に従事していた人は若くても60歳を越えているだろう。それほどの年月を経てもなお、レールや石垣といったものは姿を留めていた。
しかし、それも少しずつ朽ちていき、やがては自然に飲み込まれてしまうのだろう。それが数十年先か数百年先かは私には分からない。
完全に無くなってしまう前に訪れることができて良かった。
だが、まだ全容を解明したわけではない。深部軌道はまだまだ奥へと続いているようだった。今度はその終点を確かめなくてはならない。
そこで初めて入川森林軌道探索が完結したといえるだろう。
帰り道にて
モミ谷周辺を調べて15:00に帰路についた我々。およそ2時間をかけて出発点の観光釣り場へと戻った。
そして、その後川又地区の川又八間橋のたもとで森林軌道に使われていたという小屋を調べた。
車へと戻る途中で往路では気づかなかった下部軌道の橋の残骸を発見。
入川と滝川が分かれる上流にある、川又八間橋を入川の右岸から撮影
入川森林軌道の橋と同じトラス構造で組まれているようだ。
その部材にはレールが使われているが、この橋自体は当時のものだろうか

右岸側には鉄骨とレールで基礎が組まれている。何かの建物があったはず。 当時詰所のような建物があったことが写真から確認できた。

ここから滝川支線が別れて滝川沿いに伸びていたのだ。


2008/05/15 この橋も当時のものだった。
さらにこの橋の上にはポイントがあって、デルタ線を形成していたことが判明。

2008/05/15 追記
何かの小屋
これも当時の写真で確認できた。
かなり傾いて見えるが、超広角レンズの描写によるものだ。

2008/05/15 追記
上記の小屋
橋側から撮影。
2008/05/15 追記
とんでもないところに建っている便所(トイレなどという名称はとても似合わない)
なぜこんな高いところにポツンと便所だけあるのか不思議に思ったが、「全国森林鉄道」の写真によって理由が判明。
この右手には西武建設山林部の事務所があり、その2階と同じ高さで繋がっていたのだ。
2008/05/15 追記

川又八間橋の辺りはこのような配置になっていた。

デルタ線とはこのようにポイント(分岐線)を用いて三角形を構成する線路である。
機関車の向きを変える用途にも用いられた。
デルタ線は森林鉄道や鉱山鉄道など、小さな鉄道で比較的よく使われていた。
川又八間橋のたもとにある小屋。
実は森林軌道のモーターカー車庫らしい。
小屋を下流側から見る。
基礎はもう一つ小屋があったことを物語る。
小屋内部。
隙間からカメラを突っ込んで撮影。
最近のものと思われる大型TV等が置かれているが、積もったほこりの状態から判断するに、最近は使われていないようだ。
ここにはかつて保線用のモーターカーでも入っていたのだろう。
モーターカーとは台車に小型エンジンを取り付けたような小さな車両。
気がつくと軒の下に看板が。
「車庫 駐車禁止」と読める。
川又八間橋を渡った先の「滝川支線」跡
軌道特有のゆるやかなカーブを描いている。
そこには熊出没注意の看板が!
まあ、秩父の山には熊は普通にいるだろう。
余談だが、本州にいるツキノワグマはそれほど恐れることはない。ツキノワグマは雑食で、人間をエサとするために襲いかかったりはしない。
本州で熊に襲われたというのは、出会い頭でバッタリ鉢合わせして、熊が驚いて襲い掛かってきたというものだ。他には子連れの熊であった場合は、子供を守るために襲ってくる場合もある。
たいていは人の気配を感じるとツキノワグマのほうが逃げていく。
しかし、北海道にいるヒグマは恐ろしい。人間をエサとして見ているからだ。

普段から山奥に入る機会の多い私は、熊よりもスズメバチのほうが数段怖いと思っている。


2008/05/15 追記
ここを左に曲がってすぐの左側に貯木場があったことが判明。
カーブの先は滝川に向かって伸びていた。
その先まで行ってみたが、遺構らしきものは見当たらず。
滝川支線跡より見た入川対岸。
数件の建物が並んでいた。
帰りに滝川支線の跡も見つけることができた我々。
残念ながら滝川支線にはレールは残っていないようである。しばらくは荒れ放題だったようだが、遊歩道化するために朽ち果てた橋が架け替えられた聞く。
遊歩道のように整備されてしまって軌道の名残が無くなってしまっては魅力も半減だが、滝川支線にはトンネルもあったらしく、ぜひ見てみたいものだ。
滝川支線については、きっと近いうちに探索することになるだろう。
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