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入川森林軌道(深部軌道・上部軌道) 別名:東京大学演習林軌道 <6>  

 .6.7(完結)

訪問日 2008/05/04 同行者:ギルさん、モーちゃん   徒歩      カメラ:Nikon D70

上部軌道の探索を開始した我々の前には、崩壊の進む軌道の姿があった。
それでも登山道と分岐後は敷かれたままになっているレールが姿を現し、深部軌道に比べればまだ現役時代の姿を偲ぶことが出来た。

機関車の入線してない上部軌道のレールは下部軌道に比べてさらに一回り細く感じ、軌道敷きの様子もより簡易に見受けられる。
それでも両側には石垣がしっかりと組まれて、作り的には下部、深部と同じようであり、多くの木材を運んでいたことを想像させる。

上部軌道探索はまだ入り口に立ったに過ぎず、この先にも多くの遺構が待っていることを期待させた。
13:37
すぐにまた別の橋台跡が現れた。
上部軌道は小さな谷をいくつも越えながら奥へと向かっていた。
上写真の橋台部アップ。
石積みをコンクリートで固めてあるようだ。

橋台跡を振りかえる。
岩を削り軌道が敷かれている。
赤沢谷の流れまでは標高差で数十メートルはある。
切通しだ!

もう少し高さのある岩だったら、トンネルになっただろうか?
切通しを抜けていくと、また石垣だ。
変化に飛んだ軌道跡は我々を飽きさせない。
崩落によって埋まっている。
こういうのは、きっと現役時代にも度々あったことだろう。
上部軌道は下りはトロッコに跨った人がブレーキだけを頼りに駆け下っていた。
カーブを抜けた先にこのような崩落があったら直ぐには止まれなかっただろう。
まさに命がけのジェットコースター状態だ。
また切通しが出現。
上部軌道の切通しは2つめだ。
ここでもレールが谷側に落ちていた。
一つ目の大崩落地点を抜ける。
かなり上から地すべりを起こしている。
これでは人間の作ったちっぽけな軌道など、ひとたまりも無く赤沢谷の藻屑と消える。
不思議な光景。
ここはなぜ枕木が全て剥されて立てかけてあるのか?
全区間で剥してあるなら理解できるが、この区間だけである。
その枕木も苔に覆われて土に還ろうとしていた。
わざわざ枕木を剥した区間もあったと思ったら、今度はレールまでそのまま放置。
まったく理解に苦しむ。
苔むした枕木に廃止後の長い月日を思わずにいられない。
写真でも分かるように、赤沢谷の流れとの高低差が随分少なくなっている。
赤沢谷は滝をいくつも掛けて高度を上げてきているのだ。
そしてまた崩落。
奥に進むにつれてこのような場所が増えてきた。
仰ぎ見るとかなり上から崩れているのが分かる。
このような頻繁に崩落している斜面では木が根付かず、何十年先もずっとこういう状況が続くだろう。
完全に軌道敷きが消滅している。
この写真を見ると石垣の構造が良く分かる。
錆びてボロボロになった犬釘。
かつては木材を満載したトロッコの走る線路をしっかりと支えていた。
またまた、こんな状態。
上部軌道はあと数十年もしたら、完全に消滅してしまいそうに思える。
2つ目の大崩落地点。
ポイント(切替線)だ。
上部軌道のポイント部は木の枕木ではなく鉄で一体構造になっていた。
ポイント部アップ。
なぜ木の枕木ではないのだろうか。

推測だが、保線の手間を省くためだろうか。
川との標高差がほとんど無くなってきた。
現在地点は白泰沢との出合近く。
右には広い平場が広がっている。
ポイントで分岐していたということは、この平場には貯木場のような施設があったのだろう。

この時点で上部軌道探索は全体の3分の2を終了した。
突き出たレールが寂しげだ。
この先もまだ軌道は続いている。
再び枕木が顔を出す。
しかし、ここにはレールがついていない。
路面状況から行ってレールだけが押し流されたとは考えづらい。
とするとやはり人の手によって剥されたのか。
レールがあったり無かったり、全くもって規則性の無い不思議な廃線跡だ。
朽ち果てる寸前の枕木と犬釘。
身に纏う苔が哀愁とともに美しさを感じさせる。
9:20に観光釣り場のゲートを出発して、下部軌道、深部軌道、上部軌道と探索してきた。現在時刻は14:00をまわったところ。すでに4時間40分、距離にして6km程を歩いたことになる。割合に平坦な道のりとは言え、疲労もたまってきた。
しかし、疲れよりも早く終点が見てみたいという欲求のほうが勝っている。モミ谷出合の上部軌道終点までは残り1kmも無いだろう。
我々は足早に軌道跡を急いだ。
そしてその我々の前に当時の作業員たちの営みを偲ばせる遺構が姿を現す。さらにその先に待っているのは・・・。
次回、ついに入川森林軌道探索が完結する!
次はいよいよ上部軌道終点へ!
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