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入川森林軌道(深部軌道・上部軌道) 別名:東京大学演習林軌道 <5>  

 .5.7(完結)

訪問日 2008/05/04 同行者:ギルさん、モーちゃん   徒歩      カメラ:Nikon D70

今回の探索の第一核心部といえる深部軌道を終えた我々は、再び赤沢谷出合広場まで戻った。写真を撮らずに歩くだけならあっという間であることから、深部軌道を辿れるのはほんの少しの距離でしかない。その先に行くには一度入川本流に下りて20mほど上を通っているはずの軌道跡を見つけ、崖をよじ登って復帰するしかないと思われる。
今回は装備不足で撤退したが、いつの日か必ず終点までの探索を誓った。
さて、赤沢谷出合の入川森林軌道(下部軌道)と上部軌道とはレールでは繋がっておらず、谷の両岸をワイヤーで結んだ索道と言われる設備によって結ばれていた。
この索道、急斜面を結ぶ手段としてはポピュラーなものである。
あるサイトで見たのだが、実際にこの軌道の仕事に従事していた人の話を聞いたらしく、ここでは軌道の台車ごと運んでいたとか。木材の積み下ろしを考えるとあり得ない話ではないが。

ともかく、今となっては作業に従事した人を見つけて直接話を聞くのも難しいことなので、その真偽はひとまず置いておいて、今目の前にある遺構の探索に取り掛かることにしよう。

索道遺構探索のあと、登山道を急登して上部軌道を探索する。この上部軌道は下部軌道と違って最後まで機関車の入線は無く、人力でトロッコを押し上げていたようだ。
上部軌道はここからモミ谷出合まで2.4kmを、赤沢谷右岸を進んでいく。
ネットでは、ほとんど紹介されていない上部軌道、どんな姿で待っているのだろうか。
深部軌道において、
犬釘発見!


深部軌道探索から赤沢谷に戻ろうと歩いていると、谷近くで犬釘が刺さったままの枕木が落ち葉の間から顔を出していた。

荒廃が進む深部軌道だが、被った土や落ち葉の下には枕木が埋まっているのだろうか。
赤沢谷の流れから錆びたレールが突き出している。
これは深部軌道のものではなく、上部軌道から落ちて流されてきたものだろう。

再び赤沢谷を渡渉し広場に戻り、その周辺に残る遺構を紹介しよう。

まずは上部軌道と下部軌道とを繋いでいた索道遺構から探索。

赤沢谷広場のベンチ裏を登ると木製の枠が残っていた。
のちに上部軌道に上がったところにも同じつくりらしい構造物があった。
枠しか残っていないので分からないが、ウインチのモーターでもすえつけてあったと思われる。
その傍らには赤錆びたカバーのような金属部品とワイヤー。
台枠を正面下から見てみる。
この延長線上に赤沢谷の対岸がある。
さらに上流に進むとコンクリート製の土台があった。
谷からは10mくらいの高さだろうか。

赤沢谷出合広場付近で目に付いたのは、先ほどの木製枠とこれぐらいであった。
さあ、いよいよ吊橋を渡って上部軌道へと向かおう!
吊橋にて赤沢谷左岸に渡ると、いきなりコンクリート製の土台が出迎えてくれる。
真ん中がU字型にへこませてある。
ここにちょうど木材が乗りそうだ。
橋を渡るとすぐに九十九折れの道となり、急激に高度を上げる。
先ほどのU字の溝が掘ってある土台を登山道を登ったところから。
吊橋から70mほど高度を上げて平らな道に到着。
息を切らせて休憩中。
体重120kgのモーちゃんには、この登りはキツイ!

平場が奥へと続いているのが分かるだろう。ここはすでに上部軌道だ。
いきなり枕木のお出迎え。
山の斜面には物凄い量の一升瓶やビール瓶が散乱している。
こういったものは飯場跡等、宿泊施設に見られるものだが、ここにも小屋があったのか?
谷側にはレールが落ちていた。
山側の斜面は石垣が積まれている。
ここにも碍子を発見!
立ち木を電柱として利用するのは森林軌道ではよくあるのか?
それでは上部軌道探索に出発!
軌道跡をしばらく行くと十文字峠への登山道との分岐に着く。
左に登って行くのが登山道。
軌道跡は真っ直ぐだ。
それにしても標識の「山道」というのが笑わせてくれる。
そりゃ、確かに山道だが・・・。
登山道分岐まではレールは撤去されていたが、分岐してからの「山道」になるとレールが残っていた。
ここから先が第2の核心部となるであろう。
崩れ落ちたレール。
ここは桟橋になっていたようだ。
振り返って撮影
やはり上部軌道も崩壊が進んでいる。
山肌が崩れ落ち軌道敷を飲み込んでいた。
右は天然林だが左は植林されていた。
ただ、右の天然林もかなり樹木が細く、一度伐採されたものと思われる。

下部軌道現役時代の写真を一枚だけ見つけたが、その写真では山は丸裸状態であった。
軌道沿いの森には原生林に比べて細い木が多いのは、森が再生してから数十年しか経っていないためだろう。
苔むした枕木
橋だ!
この章の導入部で書いたが、上部軌道は重たい機関車は使われず、人力のみに頼っていた。
したがって橋も下部軌道のようにがっしりしたものではなく、簡易な木橋だったのだろう。
今では朽ち果ててレールは宙に浮いた状態だ。
上部軌道へと辿りついた我々は、早速奥へと向かって歩き出した。
そこには荒廃しているとは言えまだ当時の名残をとどめるレールや石垣、橋といった遺構が残っていた。
上部軌道探索はまだ始まったばかり。これからさらに奥へと探索は続く。
次は上部軌道の奥へ!
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