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入川森林軌道(深部軌道・上部軌道) 別名:東京大学演習林軌道 <4>  

 .4.7(完結)

訪問日 2008/05/04 同行者:ギルさん、モーちゃん   徒歩      カメラ:Nikon D70

第一目的地の赤沢谷出合に辿りついた3人は、昼飯を食べて腹ごしらえの後、すぐに深部軌道の探索に取り掛かった。
赤沢谷は少し上まで登れば釣り橋が架かっているが、そこから深部軌道まで下りてくるのは大変と思われる。というか我々はそんなルートは考えもしなかった。
橋台跡付近を渡渉して深部軌道に取り付いたほうが、はるかに早いからである。しかし、赤沢谷は大岩が転がる山岳渓流。慣れていない人にとっては危険である。
ともかく渡渉を終えた3人は深部軌道の奥へと歩みを進めたのである。
赤沢谷上部を望む。
ごらんのような渓相だ。
平水時の水量はそれほどではないように見えるが、この辺りは一部伏流していると思われる。
ひとたび増水すれば、この谷幅一杯に濁流が流れ下ることだろう。
赤沢谷を少し登った位置から見た橋台跡
ここから右奥へと深部軌道が伸びている。

橋台跡から深部軌道を望む。
写真中央の落ち葉の積もったところが軌道跡だ。
ずっと奥へと続いているのがわかる。
赤沢橋台のアップ。
赤沢谷を渡渉して深部軌道へと取り付く。
このとき私はフェルト底の沢靴だったが、あとの2人は普通のスニーカー。
スニーカーだと濡れた岩はメチャクチャ滑るのだ。それはまるで氷の上を歩いているよう。
実際、ギルさんはツルっといって脚を傷めている。
そのまま流されてしまうような水量ではないが、危険である。
深部軌道に上がったところから振りかえって撮影。

さあ、いよいよ廃線マニアには未踏の地へと踏み込んだ。
枕木発見!

地形からいって軌道跡には間違いないように見えたが、これで確信が持てた。
こういう発見がテンションを上げてくれる。
いままで辿ってきた赤沢谷までの軌道跡よりも一段と狭くなっている。
また、それまでの比較的整備された軌道跡と違って、ここからはかなり荒れていそうだった。
カーブをひとつ曲がった先がどうなっているのか、まったくわからない。
3人はいっそう気を引き締めて進んだ。。
こちらにも石垣が!
その作りは下部の軌道と同じようだ。
山側もやはり削り取られている。
深部軌道はかなり無理をして通した様子がうかがえる。
探索を進める3人の前に最初の崩落が。
下部軌道と違って、路盤が全く無くなっている。
しかし、ここはまだOKレベル。
崩落地点をいくモーちゃん。
軌道跡は、平場、崩落、平場、崩落を繰り返していた。
この深部軌道がいつ廃止されたのかは定かではないが、補修されないと簡単に自然に飲み込まれてしまうのだろうか。
そしてまた短い区間の平場が出現。
こういう仕打ちはかなり嫌らしい。
路盤がきれいさっぱり崩落してしまっているのなら諦めもつくのだが、崩落の少し先には平場が見えているのだから。
谷側に降りてみた。
立派な石垣が積まれている。
これを見ると深部軌道が一時的なものではなかったことが想像できる。
これだけしっかりした工事がなされているということは、かなり奥まで行っていたのではないだろうか。
当然、これだけの工事コストに見合った量の木を伐採できる見込みがなければ、鉄道を敷いたりしない。
入川本流の流れ。
下の取水堰堤より上は、本来の水量が復活する。
大規模渓流というほどではないが、流れの狭まっているところや、滝、淵などでは突破するのに苦労するだろう。
しかし、軌道跡をそのまま辿れなければ、川伝いに進むルートも選択肢に入れなくてはならない。
それには沢装備は欠かせないが、川伝いルートこそ我々にとってはお手のものだ。
むしろズルズルの斜面を無理してトラバースするよりは、はるかに安全。
木々に隠れてよく見えないが、石垣の上に2人が立っているのが分かるだろうか。
ここはしっかりと路盤が残っている。
しかし、先にはまた崩落が。
カーブを抜けると、そこには大木が倒れていた。
ここまで太くなるには樹齢200年、いや300年か?
それをくぐり抜けてなおも進むモーちゃん。
わずかに残る軌道跡。
ほとんど山に飲み込まれている。
なんの痕跡もなく自然に帰ってしまうのに、もうそれほど時間は必要無さそうだ。

それにしても、ここまで、まだ200mも来ていないのではないだろうか。
下部軌道と違って深部軌道は手強そうだ。

しかし、私のテンションは上がりっぱなし!
誰でも辿れる道よりもこういう所こそ楽しい。

振りかえって撮影。
美しく積まれた石垣が続く。
また崩れていやがる!
深部軌道は相当崩壊していた。

この先地形図を見ると等高線の間隔がかなり詰まってくる。
ということはほとんど崖のような斜面に軌道を通したことになる。
下部軌道と違ってかなりの難所だったことがうかがえる。
そうなるといったいどの程度辿れるか心配だ。
くぅ〜! ここまでか!

ここはさすがに厳しい。というか無理!
路盤は完璧に無くなっている。
掴まる木々も無く、足場は礫と落ち葉の混ざったズルズル斜面。
もはやこれ以上の前進は不可能だ。
進むには高巻くか川通しか2つにひとつ。安全なのは川通しだ。


それにしても、この斜面のいったいどこを軌道が通っていたのだろうか。
まさか桟橋が掛かっていたというのか?!
それもちょっと無理がある。この部分、ちょうど流れの屈曲部のアウト側。大増水によって流れがぶつかり、軌道のあった斜面が丸ごと削り取られた可能性が高い。
ここは川から10mは高い所だが、大雨が降れば間違いなくこのあたりまで水がくるだろう。
実際、この太い木の下側はえぐられたようになっている。

荒川という名前はダテじゃないのだ。

余談だが、日本には荒川という名前のつく川は沢山ある。荒川とは荒れる川という意味からきていることが多く、名前の通り一雨降ると凄いことになるのである。

先の岩場を望遠レンズでアップにしてみた。
この辺りならなんとか歩けそうだ。

しかし、そこまで行くには谷に下りて、川通しで行くしかない。場合によっては泳ぎも必要だ。
だが、今回は装備不足。先に書いたように沢靴でなければ渓は安全に歩けないのだ。

先を知りたいのはヤマヤマだが、残念ながら深部軌道の探索はこの地点で断念するしかなかった。

赤沢谷から300mほど来ただろうか。まだまだ先まで続いていると思われるが、資料がないので終点は不明である。
しかし、森林軌道の終点は切り出した木材の積み込みがあるので、ある程度の広い平らな場所が必要なはず。
地形図を見て推測すると、この先1kmほど先で右岸から比較的大きな沢が出合ってくる。そこの左岸側斜面が勾配がゆるそうだ。
そこまでは等高線の間隔がかなり狭く、ここまで紹介した深部軌道のような感じだろう。
とするとその沢の出合が終点と見た。もうそこしか考えられない!

その次の平場は金山沢出合あたりだが、以前、登山道を辿って釣りで金山沢に入ったことがことがある。
そのとき標高差数百メートルを下降したが、軌道跡らしきものは無かった。また下降した金山沢出合にもそれらしき痕跡は全く存在しなかったのだ。

いずれにしろ探索はここで打ち切り、結論は今後の再探索まで持越しである。

実はこの写真を撮ったとき、ちょっと無理してズルズル斜面を登ったのだが、正直下るのはちょっとビビった。
崖でもそうだが、登るより降るほうが数倍難しく危険なのである。
さて、深部軌道探索は赤沢谷出合から数百メートルほどで撤退を余儀なくされたわけだが、軌道は間違いなくもっと奥へと行っていたはずだ。
それはギルさんが見つけた文章だけの遡行記録(かな?)で確認されている。
国土地理院の2万5千図を見ると入川に沿ってずっと点線が続いている。これは登山道の印だが、実は現在のこの地図は間違っている。
実際の登山道は赤沢谷から一気に尾根伝いに登って、もっと高いところを通っているのだ。これは実際に私が歩いたのだから間違いない事実。
では、この入川沿いの点線は何なのか? 実は旧登山道だ。いつまで使われたのかは知らないが、昔の十文字峠への登山道はこの入川沿いの道だったのだ。それが度重なる災害で荒廃したので、尾根を辿る道に付け替えられたのだろう。
その旧登山道こそが軌道跡だったのは間違いないだろう。
しかし、登山道は金山沢出合を通り越し柳小屋を過ぎて十文字峠へと向かう。その全部が軌道だったとは考えられない。どこか途中まで軌道跡を登山道に流用したのだろう。そこで地形図を見ると右岸から出合ってくる一本目の大きな沢の辺りまでが怪しいのである。
だが、行ってみないことには断言は出来ない。もしかしたらもっと先まで敷かれていたのかもしれない。
このように資料の無い軌道に関しては、現地調査以外に解明することはできないのである。また、それが楽しみであるともいえるだろう。
それから、この深部軌道にはレールが一切残っていない。下部軌道には当時のままレールが残されているのに、これはどういうことだろうか。まだ奥まで調査してないので断言できないが、この深部軌道が廃止されたとき全てのレールを撤去したようだ。でもなぜ深部軌道だけ・・・。廃止時期とともに謎は深まる。

それはともかく赤沢谷へと引き返した我々は、赤沢谷付近に残る索道遺構(上部軌道と下部軌道の接続手段)を調べ、その後に上部軌道探索へと向かった。
次はいよいよ上部軌道探索へ!
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